絵本

さびしい話?-いぬおことわり!

 今回取り上げるのは絵本「いぬ おことわり!」(絵H.A.レイ 作マーガレット・W・ブラウン)です。

 H.A.レイはひとまねこざるの人。どおりでお猿さんの雰囲気が似ているわけです。レイさんはドイツ生まれ。

 あれ?ひとまねこざるの舞台はアメリカじゃないのと思ったら、ブラジルやらフランスやらに住んでアメリカで生涯を終えたそうです。

 在仏時は第二次世界大戦中。ユダヤ系だったために大変だったようで、その辺りは絵本「戦争をくぐりぬけたおさるのジョージ―作者レイ夫妻の長い旅」に詳しい。

 なんとナチスのパリ侵攻数時間前に脱出したそうです!

 

 マーガレット・W・ブラウンは児童書の編集者から絵本作家に転身し「ぼくにげちゃうよ」「おやすないさいのほん」等100冊以上の著作を残したそうですが、42才で早世。

 

 どんなお話かと言えば動物園の近くに住んでいるスタンダードプードル?が動物園に行きたいのに犬は駄目と断れたので、飼い主のおじさんに人間の子供に変身させて貰い動物園見学をするというストーリー。

  さて、困った。なんでこの絵本の感想を書こうと思ったんだろう(笑)ストーリーも上に書いたまんまだし、絵も色目が地味だし。書くことが無い・・・・

 のでしょうがないから曲解しますかね。

 この絵本で使われいている色は黒と黄色。なので地味、ともすれば淋しい印象を与えます。

淋しい気持ちで見始めると「ワライハイエナも。いました。でもこのワライハイエナは、わらっていませんでした」「さかさまのぞきをしているさる」「かがみのなかのともだちをつまかえようとしているちいさなチンパンジー」と登場してくる動物達まで何やら悲しそうに。そもそも犬が動物園に行こうすること自体が何やら妙だ。

 ハッ!もしかするとこの絵本は実は滅茶苦茶サッドなのでは。

 

 ・・・・まあ、そんな訳は当然無く。子供が読んだり、子供に読み聞かせると喜ぶタイプの絵本だと思います。

 犬が人間に変装すれば子供達は喜ぶでしょうし、次々に動物が登場すればワクワク興奮することでしょうし。

 ひねくれた人間が読むタイプの絵本では無かったのかも(笑)

 

 

いぬ おことわり! いぬ おことわり!
マーガレット・ワイズ ブラウン H.A. レイ

偕成社 1997-01
売り上げランキング : 423086

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デカダンスの香り―「ずどんと いっぱつ」

以前、取り上げた奥さんの作品(カングル・ワングルのぼうし )は夫であるジョン・バーミンガムに捧げれてましたが今回の絵本「ずどんといっぱつ すていぬシンプ だいかつやく」はジョン・バーミンガムから愛犬アクトンへと捧げられています。

 

 あらすじ 子犬のシンプは醜さ故に飼い主のおじさんに町外れのゴミ捨て場に捨てられてしまいます。シンプは新しい自分の居場所を求めて町を歩き、さ迷うも見つかりません。それでもさ迷い続けたどり着いたのは、町の外の森の中。森にはサーカス団がテントを張っていました。

 お腹がすいて物欲しそうにテントの中をシンプが覗くと、中にいたピエロのおじさんが食事を分けてくれた上に、暖かい寝床まで用意してくれました。

 でもこの心の優しいピエロのおじさんにはある悩み事が。悩みを知ったシンプはおじさんを助けるため、ある行動をとります。

 

 この作品はとにかくダークな絵がカッコいい。色の厚さ具合なんか最高。シンプもブサイクという設定ですが、コロコロとしていてとてもカワイイです。

 特にお気に入りなのはサーカスの公演場面ですかね。なんと言うかページからデカダンスの香りがプンプンと漂ってくるのです。

 踊り子のむちっとした白い肌、サーカスの支配人達のダンディなタキシード姿に陰気な表情、会場を包む熱気、サーカスの如何わしい空気がビンビンに伝わってきて、まるでロートレックのよう。

 ネズミ達と過ごす一夜の荒んだ雰囲気もいいし、飼い主からポイ捨てされる様もモチロン可哀相なのですが、どこかユーモアが漂っていて面白いです。まあ、ジョン・バーニンガムの筆が冴え渡っていてページをめくるごとにシビレどうしでした。

 

 作品の大半がシンプの心境を表していたのか重い色調で描かれているものの、ラスト3ページは優しい色合い。ピエロのおじさんと一緒に居れてシンプも幸せなのでしょう。ヨカッタ。ヨカッタ。

 

 

492493836X ずどんと いっぱつ―すていぬシンプ だいかつやく
渡辺 茂男
童話館出版 1995-03

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白と黒のアイツ―「365まいにちペンギン」

 以前とパンダやペンギンの人気の秘密を考察しましたが、(考察というかたわ言なのですが)ペンギンの人気の理由を改めて探ると、丸い曲線と白と黒のコントラストの魅力に行き着きます。

 今回取り上げるのは、そのペンギンの魅力を上手くデザイン化した絵本「365まいにちペンギン」です。

 

 あらすじ ぼくら家族の家にペ1羽のぺンギンが宅配便で送られてきた。「ぼくはペンギン1ごう。おなかがすいたら なにかたべさせてね」と書かれたカード共に。次の日にはもう1羽。また、次の日にはもう一羽と毎日ペンギンが増え続けて、もう大変。

 

 絵、ジョエル・ジュリヴェ、文、ジャン=リュック・フロンマタル共にCM製作に携わっているので、テンポよく、オシャレに飽きさせず話は進んでいきます。所々で算数の問題が出てくるのですが、話が進む毎に問題が難しくなっていくので、段々と考える時間が長くなっていく自分が何とも情けない。

 とにかく楽しくスラスラと読めてしまう作品です。オチが教条臭いきらいがありますが、サラリと社会問題を入れるのもCMっぽい。(おじいちゃんのモデルは北極探検家?)

 

 ところで、ペンギンの半数以上は南極に住んでいないって知ってました?暑い地域にも住んでいるらしいですよ。

 


4893094025 365まいにちペンギン
Jean‐Luc Fromental Jo¨elle Jolivet 石津 ちひろ
ブロンズ新社 2006-12

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初夢ネタを書くには遅すぎた―「ちいさい ちいさい ぞうのゆめ・・・です」

 初夢とは12月31日~1月1日の夜を指すのでしょうか?それとも1日~2日の夜を指すのでしょうか?

いずれにせよ私は気絶をするように寝ていました。(1月も下旬に入ろうかというのに何故初夢ネタ?それは書き始めたのが6日だからです・・・)

 今回取り上げるのはちいさいなわかくさいろのぞうの夢を描く絵本「ちいさい ちいさい ぞうのゆめ・・・です」

 

 あらすじ ある所におおきいぞう達とちいさいちいさいぞうが住んでいました。おおきいぞう達とは馴染めないちいさいぞうは夢でみた自分の本当の居場所を求めて旅に出ます。

 さて彼の行き着く先は・・・

  

絵柄は、非常に儚げな雰囲気をかもし出しています。儚げ過ぎてハッピーエンドで終わっても夢オチかと疑ってしまう程ですが、それではぞう君が余りに哀れなので夢オチでは無いでしょう。

 絵柄の儚さはつらいつらい旅の途中のぞうくんの心もとなさ、不安を表し、やっと見つけたユートピアでは不安な儚さはいつしかやすらぎ溢れる安心感へと変わっています。まるで暗い悪夢から覚め希望の夜明けを迎えるように。

 

 弱者がユートピアを求めて旅立つという典型的なストーリーです。おおきいぞうたちは「はいいろで はなを まきあげては さけびごえを あげていました」、一方ちいさいぞうは「わかくさいろで やさしい こえでうたうことが だいすき。からだは ねずみくらい」

 せっかくやさしいこえで歌っているのに、横ではなをまきあげながら叫ばれたら、出て行きたくもなるでしょう。

体のサイズもねずみ位で、ぜんぜん違うし。些細なようですが体のサイズが違うと一緒に生活するのは困難でしょうね。私も力士との同棲を想像するとゲンナリします。

 まあ、この場合サイズ以外にも乗り越えなければいけない壁が沢山ありますが。

 

 奈良美智が描くワンちゃん似のかよわいぞう君にとって、旅はとても困難だったことでしょう。でも考えてみれば強者はいま居る場所で充分になのだから、弱者にこそ、ここでは無いいまだ見ぬユートピアが必要な訳で。だから旅立たなければならないのです。そう世界はいつだって弱者につらい決断を迫るのです。

 

 私の会社も大体ハツカネズミ位のサイズですので、ちいさいぞう君を見習ってユートピアに向けて万進しなれけばと、この絵本を読みながら思った次第であります。

 と、なんとか新年の誓いぽくまとめたつもりになった所で締めたいと思います。

  

 

4593500915 ちいさいちいさいぞうのゆめです
おくだ つぐお
ほるぷ出版 1979-08

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ペットシッターともつながるような―「わたしと あそんで」

 前回に続いて今回もマリー・ホール・エッソの作品から絵本「わたしと あそんで」をとりあげます。設定の巧みさや話の深みでは前回取り上げた「もりのなか」ですが、絵の可愛らしさから言えばコチラです。

 

 あらすじ 動物が大好きな「わたし」は動物達と遊びたくて仕方がありません。「あそびましょ」と声をかけて動物を捕まえようとしますが、みんな逃げてしまいます。

  だあれも遊んでくれないと、しょげて音を立てず大人しくしている「わたし」のまわりに徐々に動物達が集まってきます。

 

 まず、何よりチョコレートを口の周りにつけているのがよく似合うような女の子「わたし」の仕草が可愛いです。

 絵本の中で色がついているのが「わたし」と動物達のみで木や家などの背景には色がついていません。

 「だあれも遊んでくれない」と池の淵の石に腰掛けているページでは色は「わたし」の髪と肌と靴の色のみと地味な雰囲気ですが、そこにバッタが戻って来るとバッタの色がページに加わり、カエル、カメとドンドンと動物達が戻ってくる毎にページの色もドンドンと増えてきます。「わたし」の喜びとページのカラフルさがリンクしているのです。こういう仕掛けはさすがに見事なものです。

  また、話は池の周りで展開されるのですが、水面に映る女の子や動物達の影がユラユラと儚くも美しいの一言。

 

 動物達とつき合い方、(ひいては人づき合い)をテーマとしているこの作品は、どこかペットシッターの仕事と重なる点も興味を惹かれました。確かに無理に仲良くなろうとしても駄目だし、仲良くなれると嬉しいよね。ウンウンと頷くことしきりでした。

 

 私の手元にある絵本は1984年版ですが、最近のは装丁の地の色がクリームからピンクに変わっているのですね。日の光をイメージしてクリーム色だと思うのですが、ピンクに変わると作品の印象も変わってくるのでしょうか?

 ピンクの方が手に取って貰い易そうでは有りますね。

 

 

4834001539 わたしとあそんで (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
マリー・ホール・エッツ
福音館書店 1968-08

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わからないとつぶやくよりも森へいこう―「もりのなか」

 どんな出来事にもついつい意味を見出したくなる癖が私にはようで。全てに意味がある訳は無いし、無意味も充分に価値があるのも分かっているけれども、それでもついついアレやコレやと意味を探してしまいます。

 その悪癖がもっとも発揮されるのは、映画や絵本等の諸作品に触れている時で、素直に見れば良いものをまず正面から見て、次は少し離れて、はたまた裏に廻ってみたりと好き勝手に解釈をしては喜んでいます。

 恐らく私の周りには的から外れた解釈がゴロゴロと転がっている事でしょう。

 大抵の作品は足りない頭で無理やりにでも解釈してしまうですが、中にはどうしても解釈しきれずもやもやとした気持ちになる作品があります。例えば絵本「もりのなか」とか。

 

 あらすじ 紙の帽子とあたらしいラッパを持って、森へ探索に出かけた「ぼく」の前に次々と動物達が現れては自分達も連れて行ってくれと言い、お供になっていく。

 そして、森の奥まで着くと「ぼく」はみんなとロンドン橋落ちたやハンカチ落しをして遊び、最後にかくれんぼをしました。すると・・・・

 

 単純なストーリーのはずが、どうも理解しきれない、釈然としない部分が有って、例えばライオン→小象2頭→熊2頭→カンガルー父母子→年を取ったコウノトリ→サル2頭→ウサギの順で登場する動物達はそれぞれアイテムを持っているのだが、 動物自体の持つイメージや特性とアイテムがリンクしているケース、ライオンは王冠とクシ、熊はピーナツとジャムなんかはとても分かりやすくすぐにピンとくる。

 でも、セーターだけを着た小象、靴だけを履いた小象って?子供だからちぐはぐに着る?体が大きくて大らかな印象がある象は服をちゃんと着るない?

 只、意味は掴みきれないものの、おかしみは十分に伝わってくるシーンではあります。

 

 もっと、意味深そうで解釈が難しいのが年老いたコウノトリ。動物達の中で何のアイテムも持たず、人語を喋らないのはコウノトリとウサギだけ。

 最後に登場するウサギは他の動物達が主人公「ぼく」が生み出した空想なのに対して、「ぼく」が実際に森で出会った動物だから、喋らないのも、道具を持たない事も当然。つまり現実世界の象徴な訳で。

 では、僕の空想が作り出した動物であるはずのコウノトリが何故喋らないのか?

 しかも赤ちゃんを運ぶ事から「生」を連想させるコウノトリが年老いている・・・「老い」や「死」という言葉がさえ浮かんできます。

 

 「わからない、わからない」と何度も読み込む内に、白と黒のコントラストのみで描かれたこの作品がいかに読者をグイグイと絵本の世界に引き込む力を持っているのに気がつかされました。地味な印象を与えかねない白と黒のコントラストにさえ作者の意図が込められたいたようです。

 作中の森は光がサンサンとさしって明るいというよりか薄暗くジメッとした雰囲気。だだっ広くて視界をさえぎるものが無い平原のような場所よりも自分の行く手に何があるのか、何者が現れるのかわからない薄暗い森の方が想像力をかきたてられますよね。

 私も鬱蒼とした森の中へ入ると異界に紛れこんだ気分になり、もしかしたらこのままさ迷い続けて出れなくなってしまうのでは?と一瞬恐怖に駆られた事が何度もあります。

 「ぼく」が動物達を引き連れて森の奥へと進んでいく様子は「ぼく」が空想の世界の奥に進んでいく過程でもあり、それは読者自身が本の世界へ没入していく様とも重なります。読者も動物達のように「ぼく」の後をついて歩いているのです。

 そう考えると「もりのなか」は絵本を読む行為自体を描いているとも取れます。高野文子の大名作「黄色い本」のように。

 

 つまり下手な解釈をせずに「ボク」の後をついていくのが一番って事ですかね。靴以外はスッポンポンで。

 

 

4834000168 もりのなか (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
マリー・ホール・エッツ
福音館書店 1963-12

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A少年を元気づけてみよう―「カングル・ワングルのぼうし」

  内気で友達が出来なくて寂しがっている小学生のA少年がいるとしましょう。さてA君を元気づけるにはどうしたものだろうか?友達になってあげるのが一番かもしれませんが、やっぱり同世代の友達と一緒に居るのが一番楽しいでしょう。

 では絵本「カングル・ワングルのぼうし」をプレゼントするというのはどうでしょうか?絵本に限らず映画、本、音楽は困難な状況や障害をダイレクトに解決はしてくれませんが、乗り越えるに手助けをソッとしてくれます。

 

あらすじ  クランペティの木の上に座って、顔が隠れる程大きな帽子をかぶっているカングル・ワングルは誰も遊びにきてくれないのでとても寂しい気分でした。しかしカングル・ワングルの帽子を見たカナリヤが「その素敵な帽子に巣を作れらせてください」と訊ねて来ました。それからはドンドンと動物達が訊ねてきます。

 

 顔が隠れる程リボンやレースにすずがついている大きな帽子とはカングル・ワングルの頭脳をさし、頭脳から生み出される想像力が豊かで美しい事を表しています。その帽子に実在しない動物達(はったりネズミ、びっくりこうもり等)が住まわせてと訊ねてくる。

 つまりこの動物達は空想の産物。また、地上とは隔絶した木の上に住んでいるカングル・ワングルは社会生活が苦手な内向的な性格であるようです。

 

 この絵本の詩(文章)を書いたのはエドワード・リア。筆者略歴を見ると「幼い時から病弱で7歳ごろからテンカンの持病に悩まされ作詩や絵画に熱中するする内向的な人となりました」とあります。

 カングル・ワングルとは、エドワード・リア本人だったのです。動物達がすべて空想とするなら、カングル・ワングルもしくはリアは空想で孤独を紛らわす寂しい男の子なのでしょうか?

 そうでは有りません。リアはその想像力と画才を武器としてヴィクトリア女王に絵の手ほどきをするまでの人物となりました。また貧しい人に心を寄せを収入の大部分を分け与えたそうです。

 つまり社会的に成功したひとかどの人物となったのです。

 

 一方、絵をつけたのはヘレン・オクセンバリー。巻頭にてこの絵本をジョンに捧げています。

 ジョンとは、「おじいちゃん」等の作品で有名な絵本作家のジョン・バーニンガム。捧げられたバーニンガムが内向的な少年だったかまでは分かりませんが、(以前、当ブログで取り上げた「アルド・わたしだけのひみつのともだち」は孤独で想像力が豊かな少女が主人公でした) リアの詩にシンパシーを感じて取り上げたのは間違いないでしょう。

 

 内向的である事も孤独であることも、そんなに悪くはないのです。大切なのは、その状況をどう生かすかです。

 と少年Aに語りかけても「絵本なんてイラナイ。みんなが持っているから、友達を作るためにwiiがPSPを買ってよ」と言われると、返す言葉もないですが。

 

 

4593500095 カングル・ワングルのぼうし
エドワード・リア
ほるぷ出版 1975-10

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こどもたちの視線の先には・・・・―「くまさんくまさんなにみてるの?」

  有名人にアスリート、芸術家から凶悪事件の犯人までその人物像を探ろうと試みると、大抵は幼年期の環境や親子関係がキーになります。その中でも特に母と子の関係が取り上げられることが多い印象を受けます。

 自分にあてはめてみても、子供の時分は気づきませんでしたが、親や育った環境から良くも悪くも影響を受けていることが今になってよくわかります。

 どこで読んだか忘れましたが、神風特攻隊員が突撃する際に叫ぶ名は妻、恋人や父親ではなく母親だそうです。

 やはり母子間のつながりは、特別なのでしょう。(書いてて気づきましたが、特攻隊員は若い隊員ばかりでしょうから、妻帯者が少なかったのでは?)

  

 今回、取り上げるのは母が子に読み聞かせるべき絵本と言うよりも、絵本自体がすでに母が読み聞かせる設定になっている絵本「くまさんくまさんなにみてるの?」です。

  

 あらすじは、「ちゃいろいくまさんなに みてるの?」「あかい とりをみているの。」と同じ質問を動物達へ順々に聞き続け最終的には「おあかさん なにているの。」「だいすきなこどもたちをみてるのよ」「みんなは(注 こどもに声を掛けています) なにをみているの?」「おかあさんをみているの。」で終わります。

 

 と、まあ、おとおさんではダメなのです。やはりおかあさんでないと。

 気になるのは実際読み聞かせた時に読んでいて母親と子は最後の下りで照れたりしなのでしょうか?自分だったら照れてしまいそうですが。親子だったら照れないか、照れないですよね。 

 

 絵本自体の感想をサラッと書きますと、ただ動物達をシンプルに描いてるだけなのですが、いやだからこそエリック・カールの良さが出ますね。線と色の濃淡でそれぞれを動物を上手く書き分けています。表紙のくまさんの顔と体のバランスを一つ見ても素晴らしい。

 私はあおい うま、むらさきいろの ねこ、しろい いぬが気に入っていますが、中でも聡明な目をしたむらさきいろのねこが一番気にいってます。

 

 何処で読んだか、またまた忘れましたが、裏表紙のバーコードは、装丁上美しくないという記述を読んだことがあります。

 それまで全く意識をしてなかったのですが、なるほどと納得したものです。

「くまさんくまさんなにみてるの?」の裏表紙は表紙のくまさんの後姿を裏表紙一杯に使って描いています。

 つまりバーコードを入れる余白が無いのです。担当者の方は何処にバーコードを入れるか悩んだのか?むしろ悩まなかったのか?くまさんのおしり上部のど真ん中にスタンプを押すかのようにポンとバーコードが入ってます。

 確かに美しくないし、バーコードが作品を損なってますね。まあ、見ようによっては、面白いのでコレはコレで有りですけど。

 

 

4033291407 くまさんくまさんなにみてるの? (ミニエディション)
Bill,Jr. Martin Eric Carle
偕成社 1995-12

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誤読する権利―「みどりの目」

 今回取り上げる絵本「みどりの目」は肩の凝らない良作で、私も気にいってます。

 優しい色合いで描かれる自然の中を好奇心旺盛な子猫が無邪気に走り回る様子は本当に微笑ましい。文章は簡潔ですが子猫の素直な気性を巧みに表現しています。

 

 簡潔な文章も程よく雑な絵もいいのですが、何より特筆すべきは、単純そうでいて捻りの効いたストーリーです。

 話の冒頭で子猫は箱に入れられたまま置き去りにされるのですが、「あおい そらが、ぼくのいえの てんじょうだった てわけ」とノビノビと生活し続けます。

 そしていつの間にやら拾われて話は終わります。

 

 子猫は身の回りに重大なことが起きているのに、楽天的な前向きさと環境の変化に捕らわれない気高さで捨てられた事に気づきもしないのですが、じつは悲劇的な状況に陥っている。この辺りが微笑ましいやら切ないやら。でもいつの間にやら拾われる幸運さ。

 子猫が世界を愛し、世界に愛されているのが、気づいてないけど悲劇→気づかないうちに解決という一連のエピソードからて伝わってきて、「なんと気高く幸福なネコちゃんなんだ!」と楽しくも暖かい気分になれるのです。

 

 ところがここで問題がありまして。子猫が置き去りにされたのか、ただ飼い主によって外に出されただけなのかはっきりと作中で触れられてないのです。

 私ははじめて読んだ時に前者と解釈したのですが、他の方のブログやサイトを覗くと捨てられたと解釈している人は少数派なので段々と自信が無くなってきました。

 

 でも胸を張って捨てられたと解釈することに決めました。何故かって?だってそっちの方が面白いから。

 それに仮に間違いだとしても、読み手は「作品を誤読する権利」が持っているのですから。

 

4887500378 みどりの目
エイブ・バーンバウム
童話館出版 2002-05

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マスターピース―「はらぺこあおむし」

 どんなジャンルにも受け手の性別、年齢、嗜好そして時代をを超えて訴えかける作品が存在します。そんな作品をマスターピースと呼ぶなら、絵本「はらぺこあおむし」は間違いなくマスターピースでしょう。

 

一枚の葉っぱでも部分によって色を書き分ける色使いの多彩さ、鮮やかさ。コラージュによって生み出される立体感。おなかを壊したのあおむし情けない顔、無関心さまで感じさせる明るい太陽、やさしい白い月。単純にして飽きのこないストーリー。

 

 「はらぺこあおむし」の魅力は沢山の人に語られてるのでわざわざ下手な文章で再度述べなくてもいいのですが(動物じゃなくて昆虫だし)7月24日付けの朝日新聞のこんな記事↓が載っていたので。以下抜粋。

 

 何度も手術を受けた心臓病の女の子がいた。むしが次々に果物をかじって、あなをあけていく 絵本「はらぺこあおむし」をみて、その子はいった。「食べたあとが腐らないのはヘンだ」村中のもっている初版では、虫の食べてあとは色が変わっていた。米国の著者エリック・カール(79)に理由を問い合わせた。「わかりやすさを求めて改版のさい、シンプルにした」と返事があった。

 

 日本では88年に改訂版が出ているそうで、違いが知りたくて書店で改訂版をチェックしました。

 手元にある改訂前版と比べてみると蝶の目が違ったりと細かく変えているようです。

 素人目にはじっくりと見ないとわからないような、変更を行うこだわりが名作を生み出すのでしょうね。

 

 

4033280103 はらぺこあおむし
エリック=カール
偕成社 1989-02

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子供はダマされない―「ノラネコの研究」

小学中級むきと絵本「ノラネコの研究」の裏表紙には書かれていますがトンでもない。小学生向きなんて。大人が読んでも十分どころか十二分に楽しめる絵本です。

 子供騙しなんて言いますけど、子供騙しには子供も騙されません。大人が読んで楽しい絵本じゃなければ子供も楽しめないと思います。

 

〔内容〕 ネコ科動物の生態を研究している筆者がナオスケというノラネコの一日の過ごし方を午前10時~午前6時までじっくりと観察。

 

 とにかく面白いこの絵本。何故そんなに面白いか?それは筆者が本気だから。ネコ科動物の生態の研究者が本気で何の変哲もないノラネコの研究をしているからなのです。

 その本気度は町中のノラネコの様々な特徴を書きつけたネコカード作りから始まり(その数、百枚以上!)、ノラネコの観察をする場合は丸一日をかけてじっくりと。ノラネコのナオスケが寝てしまえば筆者もジッと待つ。ナオスケは一日の内にあわせて十八時間以上も寝ているので筆者の苦労が忍ばれます。 

 

 こうして丹念に丹念に筆者が調べた成果を描いた絵がまた楽しいのです。挿絵の平出衛は他にもネコちゃんのさし絵を書いているようなので本気でネコ好きなのでしょう・・・・だと思います。

 毛づくろいをしている様子、物陰から辺りをうかがっている様子、警戒しながらゴミ箱を漁る様子、ひとつひとつの動作がとてもリアルです。

 また、マンガのようにコマを割ってノビノビとした描き方自体がネコちゃんのもつ自由で飄々とした雰囲気を出すことに一役かっています。

 

只、楽しいだけではなくネコちゃんの生態も分かりやすく丁寧に書かれていてとてもタメなるこの絵本は、ネコ好きの方はモチロンですが、ネコ嫌いの方にこそ読んで頂きたい絵本です。

 

 

4834001962 ノラネコの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)
伊沢 雅子
福音館書店 1994-04

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真夜中の更新―「まっくろネリノ」

 深夜2時。男は、書斎で一人くつろいでいた。

 グラスに浮かべた氷を軽く揺らし、ウィスキーを口に流し込む。喉から胃にかけて熱さがしみ渡っていくのに呼応するかのようにBGMのピアノトリオの演奏も熱を帯びてゆく。その熱にほだされるように男は、腰掛けていたチェアから立ち上がり本棚の前へと移動した。一冊、一冊、ゆっくりと本の背表紙に這わせていた指が止まり、一冊の本を抜き出した。

 「やっぱり、真夜中の酒の相棒は、コイツが一番だよ。」と満足そうに呟く男の手には、絵本「まっくろネリノ」が。

あらすじ まっくろネリノは、その名のとおり真っ黒な鳥です。カラフルな毛色をしているネリノのにいさん達は、黒くて地味なネリノをいつも仲間外れにしています。でもある日、にいさん達は、素敵な色をしているので捕まってしまいました。にいさんたちを気の毒に思ったネリノは、救出へと向かいます・・・・

 「男前に絵本を紹介」にチャレンジしてみましたが失敗でした。(第一、書斎やらウィスキーやらは、フィクションですし。)

 失敗はとりあえず置いといて、「まっくろネリノ」は素敵な絵本です。

 全てを塗りつぶす黒では無く、全てを優しく包み込む黒を基調としてパステルで描かれた色づかいは、深夜のひっそりとした静かな空気にピッタリと合います。

 真夜中、いつも点けているテレビを消して「まっくろネリノ」をゆっくりと眺めて過ごすのもたまには悪くないものですよ。

 

 

4032021406 まっくろネリノ (ガルラーの絵本)
ヘルガ=ガルラー
偕成社 1973-01

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大人と子供―「うんちしたのはだれよ!」

 いきなりですが、大人と子供に違いってあるのでしょうか?大人、子供と呼ぶよりは、若い子供と年を取った子供と分けるのが妥当な気がします。

 

 何故、こんな事を言い出すかといえば「うんちしたのはだれよ!」を読んでいる時の私の反応があまりに小学生じみていたからです。

 男子小学生、汚い言葉が好きですよね。うんちとか。でも大人になればうんちごときで喜ぶはずが有りませんよね。そう。喜ぶはずがありませんとも。・・・・・喜んでしまうんですよね。20ページ中17ページにうんちが描かれているうんち満載の「うんちしたのはだれよ!」を読むと。

 

〔あらすじ〕 ある日 地面から顔を出したもぐらくんの頭の上にうんちが落ちてきました。失礼な行為に怒ったもぐらくんは様々な動物の元を訊ねて犯人を捜そうとします。頭にうんちをのせたまま・・・

 

 大人と子供の狭間で揺れている青少年の皆さんは、この絵本を読んでみるといいかもしれません。この絵本を楽しめるか楽しめないが大人と子供の踏み絵になるに違いありません。

 

ウソですが。

 

4039611306 うんち したのは だれよ!
Werner Holzwarth Wolf Erlbruch 関口 裕昭
偕成社 1993-11

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みえないともだち2 その2―「風が吹くとき」

 前回から間隔が空いてしまいましたが、「風が吹くとき」に関するとりとめのない思い出話をお伝えします。

 

 話は、私が小学生の頃までさかのぼります。その頃どういう訳だか私の母親は、原爆を扱った写真集や絵本を集めていて、その中に「風が吹くとき」も含まれていました。小学生であった私も何となく写真集や絵本を読ました。写真も絵本も怖かったですね。でも何度も見ました。悲惨を学ぶといった殊勝な態度では無く怖いもの見たさで。その内、本当に怖くなって本棚に近づくのも嫌になってしまいました。

 そんな状態ですから、本来楽しいはずの「サンタのなつやすみ」(レイモンドブリッグス著)のサンタのハゲた頭を見ても放射能の影響を連想していました。全く関係ないのに。

 でも家にあった原爆本の中ので一番怖かったのは、「ひろしまのピカ」(丸木俊著)でした。この絵本は、今でもほんの少し怖いです。

 

 とまあ、本当にとりとめのないお話なんですが、今でもあの頃のザワザワとした恐怖を覚えているんですよね。不思議と。

 で記事の締めですがとりとめのなさに終始して LOVE&PEACE!」でとりとめもなく終わりたいと思います。

 

 

4751519719 風が吹くとき
Raymond Briggs さくま ゆみこ
あすなろ書房 1998-09

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みえないともだち2―「くまさん」

 前回に続いてみえない友達のいる女の子の絵本「くまさん」をとりあげます。「アルド・わたしだけのひみつのともだち」では、女の子が孤独を感じた際の支えにアルドをしていたのに対して、「くまさん」では、単純に女の子の想像力の豊かさを描いているようです。

 

〔あらすじ〕 ある晩、女の子がぐっすりと眠っていると窓から大きな大きなくまさんが入っていきました。あっという間にくまさんと仲良くなった女の子は、一緒に寝たり、食事をあげたりと楽しく過ごしますが、次の日の晩にくさまさんは、帰っていきます。

 

ハイライトは、冒頭のくまさんの登場シーンです。作者レイモンド・ブリッグスの特徴であるコマ割りによって、小さくコマを割って徐々に女の子の部屋の窓に近づいていく様子を描ているので、最初はくまさんの大きさが分かりませんが部屋に入る瞬間は、ドーンと見開き1ページを使ってくまさんの大きさを表現しています。この時の迫力は、まるで映画のようです。この絵本、とにかくデカイ(37cm×27cm)んですが、その理由は、登場シーンを見れば納得です。

 

  実は、この絵本にはもう一頭くまが出てきます。それは女の子が持っているくまのぬいぐるみです。何回も読んでいると妙に気になってきます。くまさんよりぬいぐるみを目で追ってしまう程に。ぬいぐるみなので表情は変わりませんし自分から動かないのに、まるで意志があるかのような錯覚を覚えてしまいます。女の子のお気に入りでいつ持ち歩いているぬいぐるみは女の子の想像の産物であるくまさんと現実をつなぐ役割をしているのかもしれません。

 

 レイモンド・ブリッグスは、「ゆきだるま」(アニメ「スノーマン」の原作です)や「さむがりやのサンタ」で有名ですが、核戦争をテーマとした「風が吹くとき」の作者としても知られています。この作品には、個人的にちょっとした思い出があるのですが、次回に引っ張ります。正直、引っ張るような話じゃないですけどね。

 ちなみに訳者角野栄子は、映画「魔女の宅急便」の原作者です。 

 

 

4097270702 くまさん
レイモンド ブリッグズ Raymond Briggs 角野 栄子
小学館 1994-12

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みえないともだち―「アルド・わたしだけのひみつのともだち」

 はじめまして。当ブログにお越し頂きありがとうございます。初ブログなのでいささか緊張しています。

   さて1回目に紹介する絵本は、「アルド・わたしだけのひみつのともだち」です。友達と言っても主人公にしか見えないのですが・・・・

 

 あらすじ 主人公の女の子は、クラスメイトにいじわるされたり、両親が不仲だったりと、ミクロだけど子供なりにシビアな生活を自分にしか見えないひみつのともだち「ウサギのアルド」に支えられながら暮らしています。

 

 この絵本は、原文が良いのか?訳者(谷川俊太郎!!)が良いのか?文章が短く平易でありながら、主人公の性格や気持ちをしっかりと伝わってきます。それに言い回しもどこかも洒落ています。

 子供でも読みやすいようにと配慮があるのでしょうが、全文ひらがな使用も効果的です。女の子がまさに喋っているようで心にグッときます。

  もちろん絵も魅力に溢れています。女の子は、線描でポツンとどこか頼りなく寂しげに描かれています。対して彼女を取り巻く環境(心象状態)は、ドロドロとした色調で描かれています。この対比によって彼女の置かれている環境がけして楽ではないことが分かります。それでもアルドと一緒にいる時の女の子は、とても楽しそうです。アルドがいれば安心だと。

 

 子供がみえないともだちを必要とするように、大人も目にみえたり、みえなかったりする何かを支えにしながら生きているような気がします。もちろん私自身も含めて。

 

4593502802 アルド・わたしだけのひみつのともだち
谷川 俊太郎
ほるぷ出版 1991-11

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